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Posted by TI-DA at

何を想ふ

2012年01月17日

阪神大震災から17年


今、何を想ふのか



人の命は
ほんとに一瞬にして
失われていくということ


伝えたいこと
今すぐ伝えましょう

後悔のないように
清々しく生きていくことが、
一番の報いです


黙祷。  


Posted by りょーこ at 08:28Comments(1)雑記

その街のこども

2011年01月17日


はやいもので、

あの悲惨すぎる地震からもう16年。


私は、生き残った。

そう表現する方が正しいのかもしれません。







ここ最近、
目覚める時間がいつもだいたい決まっています。

朝5時53分

目覚ましは6時20分なんですけどね・・・


なんかあるんでしょうかね。

地震が起きたのは5時56分。

防衛反応みたいな、なにか。







1年前、
震災から15年という節目に、
NHKが特集ドラマを制作しました。

それが、
表題に挙げている
『その街のこども』

その後、
映画化もされました。

一部の劇場でしかやってませんが、
まだ、観れます。
http://sonomachi.com/


いつかDVDになったら、
もっとたくさんの人に、
世界中の人にみてもらいたいくらいです。







今日1月17日、

雪が降りました。

そして積もりました。


ターの泪なのかな・・・・と。


  


Posted by りょーこ at 21:16Comments(2)雑記

四半世紀

2010年08月27日

先日、ついに、四半世紀を迎えました。


まったく信じられないんですが、

どうやらもう、25歳。


子供の頃思い描いてた25歳の自分は・・・・


結婚している
子供が一人いる
仕事と家事の両立で忙しくしている
でも、毎日充実している


でしたが・・・



まぁ。。。
人生、色々あったほうが楽しいですね♪



これまで生きてこれたことに、
感謝感謝の気持ちを忘れずに、
これからも過ごしていきます。




6月に出席させて頂いた結婚式にて
  


Posted by りょーこ at 15:17Comments(2)雑記

NIKON D5000

2010年06月03日

新しくカメラを買いました。


今流行りのデジタル一眼。


フィルムのあの巻かれるなんともいえない音が好きで、

絶対デジタルなんて使うもんか!

とか、意地張ってましたが・・・



気付けばお店で値切ってる自分が・・・


これから、
大好きな人たちの結婚式や出産が待っているので、

少しでも素敵な写真が撮れたらなぁ。。。。

と。


  


Posted by りょーこ at 17:13Comments(1)一眼レフより

Happy Wedding

2010年02月28日

最近になって、

結婚式に出席させてもらう機会が増えています。

もう、そんな歳かぁ。。。。と、

自分も若くないんだなぁ。。。

と思う反面、自分には結婚なんてちょっと想像もつかないです。




先日出席した結婚式にて☆










  


Posted by りょーこ at 23:03Comments(2)雑記

なばなの里

2010年02月02日

少し前に、

三重県は、なばなの里に行ってきました。


ウインターイルミネーションがやってるってことで・・・

軽い気持ちで行ったんですが、、、


こりゃ、すごい・・・の連続!









絶景だったのは、このオーロラ。








すんごいワクワクするので、ぜひ、行ってみてください!!!





  


Posted by りょーこ at 20:41Comments(2)雑記

生きろ!

2010年01月17日

遅ればせながら・・・



明けましておめでとうございます。


本年もよろしくお願い致します。





今日は、震災から15年です。
信じられないスピードで時間が過ぎています。


天国のターに、
今日も、
あいさつに行ってきました。





ターが生きてたら、
きっと、
もうコーヒーでもすき好んで飲んでいる年頃かなぁ・・
と思ったので、
温かい缶コーヒーをおそなえしてきました。





今日までの数日間

私の住んでる近くのスーパーの前の広場で、

筆で『生きろ』と書かれた半紙が笹にぶら下がっていました。







私も、
もちろん書きました。


ある女優さんが、

『命で笑え!』

と言っていました。


やっぱり、

まずは生きて。


それで、
生きているだけではだめなんですね。


生きているなら、

笑わないと!




  


Posted by りょーこ at 19:50Comments(6)雑記

一難去ってまた一難

2009年01月18日

今日は、

勝負の日

でした。



兵庫県に理学療法士として就職すると、

もれなく、
学会発表が課されます。

学生時代は、
学会発表なんて就職して10年後くらいにすればいいかな。

なんて、
温いことを考えてましたが・・・


いざ、
就職して・・・

日々の業務に追われる中で、
去年の7月頃から準備が始まり。。。

今日の日のために、
たった7分間の発表のために、
半年間かけて作り上げたものを、

やっとの想いでぶちまけてきました。




理学療法士というのは、
とても幅の広い職業です。

ですから、
発表の内容も多岐に渡ります。


私は、
単なるありきたりな発表には絶対にしたくないと思って、

いっそのこと、

賭け。というか、

勝負にでました。





結果、

褒め言葉と批判の言葉の両方を頂いて、

おなかいっぱいで、

一年目を終えることができそうです。





仕事はまだまだこれから何十年と続きますが、

今日は、

とても、

いい日になりました。









とても尊敬する医者が、今日とても印象的なことを話されていたので、

ご紹介します。




『国家試験を通るには6割以上の点数がいる。

6割とっても、9割とっても、みんな合格。

でも、本当にその仕事に対する適性があって、

最適任者になるには、

国家試験が9割でも、

政治の知識が2割なら、

芸能界の事情が3割なら、

女のこと、男のことが4割なら

絶対に、最適任者にはなれない。

やっぱり、

どの分野でも、6割以上の知識があるから、

そこで、

ホンモノになれるんです。

そうでしょ?』










面白いお話でした^^





  


Posted by りょーこ at 22:17Comments(3)MEDICAL

灯 1.17

2009年01月16日

昨年、
阪神大震災の体験談を日記に記しました。

http://ryokon.ti-da.net/e1929541.html


TADARINのおかげで、
たくさんの方々に、
私の体験したことを知ってもらえて、
共感してもらえて、
ほんとに嬉しくてたまらなかったんです。


だから、
また今年も、



下手な文章ではありますが、

何かを感じ取って頂けたら幸いです。















1995年、1月17日

当時私は小学校3年生でした。


私の通っていた小学校では

ターを含め、3人の生徒、1人の先生が地震で亡くなりました。



あの日、
地震の起こった当日は、
本当に長い長い一日だったのを、
今でも鮮明に覚えています。


朝方にターが死んで、
悲しみに暮れる暇もなく、
子供たちは、
小学校の体育館に避難するようにと。




仲の良かった友達と体育館で会ったとき、

『生きてる』

ということがこんなにも嬉しいことなんだと、

泪を流して抱き合いました。



でも、

生きている私たちのところへは、

驚くほどたくさんのご遺体が運ばれてくるんです。


体育館のステージが、

一時的な遺体安置所になっていたのです。


あのステージの上で歌ったり、

踊ったりしていたのに・・・



ものすごくショックでした。


遺体に目を向ける度に、

もしかしたらまだ生きてるんじゃない?

とか

急に動きだしたらどうしょう・・・

とか


そんなことを考えていたら、

怖くて怖くて、

遺体をなかなか見れませんでした。


そんな中、

知っている人がいないか確認してくださいと自衛隊の人に頼まれて、

恐る恐る一人ひとりを確認していきます。


何人目かで、ターをみつけました。

ターは、見知らぬおばぁちゃんの横で眠っていました。


運びだされたときよりも、

青白く、しんどそうな顔をしていました。



ターの隣の隣くらいに、

見覚えのある人をみつけました。


私の家の向いの一軒家に住んでた、おばちゃんでした。

よく、そのおばちゃんの家の壁にボールを当てて遊んでは

怒られていたので、

私たちはそのおばちゃんのことを

『くそばばぁ』

と呼んでいました。


あんなにも毎日怒鳴ってたおばちゃんが、




死んでいました。





いつになく穏やかな顔だったので、

見た瞬間はわかりませんでした。

でも、

いつもの紫の派手な服を着ていて、

やっぱりあの口うるさいおばちゃんだとわかりました。

あんなに怖いおばちゃんが、

こんな地震なんかで死ぬわけがない。

負けるはずがない。

そう思わずにはいられませんでした。



当時は、

いつも怒ってくるおばちゃんのことが大嫌いでした。

『くそばばぁ』と呼ぶくらいですから。


でも、

悪いことを悪いと怒ることができるおばちゃんの行動は、

ほんとに勇気がいることなんだと、

あとになって、

おばちゃんの偉大さ、優しさを知ることになりました。








身近な人が、

一瞬にして、

一日にして、

次々に死んでいく様を目の当たりにして、


生きてることの方が不思議に思えるような感覚に陥りました。







夜になって、

体育館に迎えにきてくれた父は、

凄く疲れた顔をしていました。

帰り道、

父は私の手をギュッと握り締めて、

外灯もつかない寒い夜の道を一緒に歩きました。

途中、

全壊したターの家の前で手を合わせて、

大泣きしながら二人で帰りました。















あの地震が

もし通勤時間に起こっていたら

被害はさらに甚大になっていたと言われています。

あの計り知れない大きな揺れでは

とっさに逃げることなんて絶対にできなかったんです。




だって、

あの強くて優しい勇敢なおばちゃんが死んだくらいですから。


凄く優しくて、背が高くて、格好良かったターが、
たかがテレビが頭に落ちてきただけで死んでしまったわけですから。




人間の無力さを思い知らされた自然の猛威でした。






皆さんは家具を固定されていますか?



万一の時にはどうするか家族と話していますか?





時間というものは

とても恐ろしいものです。



人の気持ちを、

簡単に風化させていってしまいます。



そして、

人間が、

恐ろしい自然の猛威を忘れかけたその頃、

自然は再び、

私たちに教えてくれるんだと思います。



絶対に忘れてはいいけないことを、

地震からたくさん学びました。






息をしている今、この瞬間に、

皆さんが伝えれらること、

伝えるべき人に伝えるべきこと、

絶対にあると思います。


『ありがとう』というシンプルな言葉を、

心の中で想うだけじゃなく、

声にして、

伝わるべき人の心に届けていけたらと・・・



震災から14年経った今、

私はそんな気持ちで2009年を生きています。












  


Posted by りょーこ at 23:22Comments(11)雑記

なんだか…

2009年01月05日

新年早々…


不思議な出来事が…


一昨日の夜、
家に21時頃帰ってきて…

なんとビックリ!!

家の中に蜂が!!!!!



なぜ?
こんな季節に?
しかもここ七階なのに?



ベランダを開放して逃げるの待つ…

待つ…


待つ…




ずっと部屋から出て行かない…

でも襲ってくる様子も、ない…


蚊と蜂だけは私も苦手だからなんとしても部屋から出さないと…と思って、


雑誌を丸めて蜂を追いやること10分…


やっとベランダから出て行った!

けど、かなり弱ってた(*´д`*)


ベランダから飛びたつというより落ちてった…みたいな感じ。


なんでこんな寒い夜にこんな所に迷いこんだやろかと思いつつも、その日はそそくさと寝ることに…



次の日

いつものように出勤したら

私の担当の患者さまが亡くなっていた。


あまりにも急な出来事で…



ビックリしすぎて今も実感はないんだけれども…


なんだかなぁ


なんか

あの蜂

蜂が気になる。




たまたまかもしれないけど


蜂は何かを意味してたのかな…
  


Posted by りょーこ at 22:09Comments(3)

2009

2009年01月05日

★謹賀新年★



年越しの瞬間、うたた寝をしていて気付いたら2009年に…



今年は年女です。



2009年の目標は




健康一番




それだけです。






もう辛い思いも周りへの心配もかけたくない。







西宮神社でそんなお祈りをして………




引いたおみくじは


『末吉』





なんか頑張れそうな気がします☆




今年もみなさまにとって笑顔いっぱいの一年でありますように。



遅くなりましたが

今年も
これからも
末永く


よろしくお願いします!  


Posted by りょーこ at 17:13Comments(3)雑記

2008

2008年12月31日

今年一年間、

ありがとうございました。


色々とありましたが、

自分では悔いのない日々を過ごせたと思っています。


行きたいところへは行けるうちに

食べたいものは食べれるときに

言いたいことは言えるうちに

逢いたい人には逢えるときに




頭で考えても仕方ないな。


と、


そう、


実感させられた年でありました。



来年は・・・


どんな年にしようか・・・



みなさま、

よいお年を☆


感謝!!



  


Posted by りょーこ at 07:52Comments(2)雑記

NY旅日記 20(最終話)

2008年12月22日

さぁ、
いよいよニューヨークにおさらばです。


8泊10日の旅ももう、終わり。


帰りの飛行機は、
朝の9時。


ということは、
6時にはチェックインしなくては・・・


完全一人旅なので、
誰も宿には迎えにきてくれないし、
空港までの送迎サービスなんか使ったら
超がつくほど高いので、
こんな早朝から大通りにでてタクシーを拾わなくてはならないのでした・・・



朝5時に宿を出て、、、

カラカラとスーツケースを押していると、

タクシーの運ちゃんにクラクションを鳴らされて、

乗ってけ!!

と・・・・







なんか怪しいなぁ・・・

と思いつつも、

『まぁ、なんとかなる!』

っていう気持ちが強くて、

『空港まで~』

と乗ってみました。







その日のタクシーからみえた朝焼け





この朝焼けがほんとに感動的で、

これも、

運ちゃんが乗ってけ~って言ってくれたから見れたんです☆

怪しいなぁと疑ってましたが、

空港までの40分くらいの間にいろんな話ができて、

アツアツのベーグルとコーヒーをお裾分けしてもらって、

ほんとに、ほんとに、


いい人でした。


お礼の気持ちに、

チップを多めに渡して、
日本の500円玉を記念にどうぞと^^


運ちゃんは、
まだ日本には行ったことがないと。


でも、
この500円を持っていつか必ず行くよ~

っぽいことを言ってました。


ちょっとメキシカンな人種の方で、
英語になまりがあってよく聞き取れなかったんですが、


それでも、
笑顔で、
頑張ってわかるように話してくれました。










最後の最後まで、

たっくさんの

いい人

に出会えました。





一人だったからこそ


行けたトコロ

みれたモノ

感じれたコト

出逢えたヒト




すべて私の大切な大切な想い出になりました。












ほんとにええ旅でした~


NY旅日記   おわり
  


Posted by りょーこ at 05:47Comments(8)New York

パニック

2008年12月14日

寝れぬ…


もう朝の4時…


まだ一睡もしてませんがもちろん明日も仕事。。。


寝れない原因は自分でもわかっています。


今日、仕事中に、
目の前の患者さんがけいれん発作を起こしてしまった時の自分の対応力の無さに反省と後悔だけが残ってしまって…



それで…



寝れないわけです。


救急対応には、落ち着きと判断力が求められます。

が…

その両者ともが欠けていました。



同じ失敗を繰り返さないように、日常から鍛えていかないと!



今年も残す所、あと半月ですね★
今年は…
『勝負の年』でした


来年はきっと…
『挑戦の年』になります。



あ…
今年もよく考えたら
『腸戦の年』でした(^^;)
  


Posted by りょーこ at 04:07Comments(2)

師走

2008年12月02日

激動の2008年も、

残すところ1ヶ月。

たった、1ヶ月。

今、この瞬間にできること、

この瞬間にしかできないことを、

やるっきゃない!!!!!





京都 貴船








  


Posted by りょーこ at 00:32Comments(4)

感じる

2008年11月18日

もう、冬ですね

手が冷たくなって

無意識のうちに

温かい息を手に吹きかけたりすると

冬を感じます



生きてる



感じます

昨日のように

今日のように

明日も

明後日も

10年後も

たくさんのことに感謝して

感謝されて

笑顔になって

怒って

泣いて

やっぱり笑って

何事もなく

ただただ生きていられたら

それはそれは幸せでしょうね





やりたいと思ったこと

心の中で浮かんだ言葉

誰かに対する自分の気持ち






時間なんて

限れていて



生きてるその瞬間に

絶対に

口にして

声にして

形にして

自分から誰かへ

伝えていきたいものです





NY  タイムズスクエア




  


Posted by りょーこ at 20:11Comments(4)雑記

NY旅日記 19

2008年11月18日

この旅最後の夜

もちろん最後もみましたよ!

ブロードウェイ!!


その前に、
ちょっと腹ごしらえ。


有名なチャイナタウンへ。







宿が一緒だったフランス人と日本人と一緒に。

神戸の南京町や、
横浜の中華街とは、
比べ物にならないほど、規模が大きい大きい。


もう・・・
ひとつの国です。
チャイニーズだらけ。
ほんと、小さな中国って感じで。


ふらっと入ったお店。
これだけのボリュームで、
日本の王将くらいの安さ!












接客のサービスが最高でした。
一流ホテルのバイキングのような・・・



いい気分になりました^^




お腹がいっぱいになったところで。。。

いい時間に。









スタバに寄って・・・









劇場へ。


演目は、、、

ミュージカル
『RENT』


これは、映画化もされています。


この冬には、
日本でも、日本人の俳優たちで舞台があります。







正直なところ・・・
私はこのRENTよりも観たい演目があったんです。

でも、チケット売り切れであえなく買えず・・・

仕方なしというか、

なんとなく内容知っているし。

という理由でRENTに。

RENTは、ミュージカルだけど、
普通の芝居も結構盛り込まれていて、
聞き取れなかったら内容わからないし、
どうしよう。。。


と不安だったんです。












が、













言葉は国境を越えました。





何を言っているか完璧にはわかりませんでした。


でも、

泪が止まりませんでした。

人生について、

深く深く考えさせられて、

観終わったあとも、

なかなか席を動けず・・・

隣のおばちゃんと、
わんわん泣きました。笑





素晴らしい作品!


歌もめちゃくちゃ素敵!



そのおばちゃん、
もう何回も観ているとか・・・


何度観ても泣けるわ~~~~~

って。。。







最後の夜に、
最高の想い出ができました。








つづく。




  


Posted by りょーこ at 19:54Comments(0)New York

悔いること

2008年11月07日

『くそったれぇ!!!』

と、

心から想うような、悔しいことが起こった。

仕事でのこと。

私たちの病院では、
一人の患者さんをチームで担当する。

一人の患者さんに対して、
医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・社会福祉士のチームで。

患者さんが入院してきたその日に、
それぞれが評価をして、
判断して、
その人の活動度(安静度)というのを決める。

もちろん最高責任は医師にある。
だから、何を決めるにも、医師の許可が必要。

ある日、救急病院から転院してきた患者さんを担当することになった。
1ヶ月以上も意識不明で、ようやく回復してきたが、
身体の方はかなり重症・・・

身体だけでなく、精神的にも不安定で、
危険な行動が多いとの情報が前の病院からのデータである。

でも、
実際に患者さんを評価していくと、
危険のきの字も当てはまらないほど穏やかで、
前のデータは嘘のように思えるほどだった。

危険行動とは、たとえば、
鼻のチューブを自分で引き抜いたり、
点滴台を倒したり、
歩けないし座れないのに、それをやろうとしたり・・・

命に危険を及ぼす行動を自分でコントロールできなこと。

だから、病院側としては、
それなりに患者さんを抑制しないといけない。
何かで縛ったり、手にミトンをつけたり・・・
本当はやりたくないけれど・・・


その患者さんも、
入院当日の夕方まではほんとに大人しかった。

チームでの活動度を決める会議が始まり、
そこまで抑制しなくても大丈夫なんじゃないか・・・
いや、でも、前の病院であれだけ抑制されているからやはり抑制が必要なんじゃないか・・・

そして、
医師の独断で、抑制ゼロの活動度に決まってしまった。

私がそこで一言口出しすればよかったのだが、、、
医師の圧力に負けてしまった。。。


その日は、忙しく、
私は夜7時ころにナースステーションでカルテを書いていた。

すると、『ドン!』と音が聞こえた。

その患者さんの部屋だ。

駆けつけると、ベッドの横に倒れていた。






『やってしまった・・・』












この患者さん、ナースコールを押せないし、自分の言葉も話せない。

きっと、何かをしたくて起き上がったんだと想う。
でも、一人じゃ座れないからそのままベッドの下へ落ちてしまったんだろう・・


幸い何の怪我もなく。

だったが、

本当に悔しくて、情けなかった。

患者さんの身を守れなかった。



落ち込んでいる場合ではなく、

次に活かさないといけない。


その患者さんは、
きっと今も大暴れしている。



でも、その気持ちを汲み取ってあげないといけない。

きっと、大暴れするには何か理由があるはず。
何かを訴えたいはず。



それが、私たちにできる一番大切なことだな。
と、想う日々であります。









北海道  小樽運河にて







  


Posted by りょーこ at 10:58Comments(4)雑記

いろめがね

2008年10月10日

小学校で5年生の担任をしていた教師の話です。

その先生は、小学校5年生の担任になった時、自分の
クラスの中に一人、どうしても好きになれない少年がいました。
服装が不潔でだらしなく、好きになれなかったのです。
先生は、中間記録に、少年の悪いところばかりを記入するよう
になっていました。

ところが、ある時、少年の1年生からの記録が目に止まりました。

1年生の時は、
  「朗らかで、友達が好きで、親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」
   と記録されていました。

「間違いだ。他の子の記録に違いない。」と、先生は思いました。

2年生になると、
  「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
  と記録されていました。

3年生では、
  「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

3年生後半の記録では、
  「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」

4年生になると、
  「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
   子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走りました。

ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている
生身の人間だと感じられたのです。
先生にとって、目を開かれた瞬間でした。

放課後、先生は少年に声をかけました。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから。」

少年は初めて笑顔を見せました。

クリスマスの午後、少年が小さな包みを、先生の胸に押しつけてきました。
あとで開けてみると、香水の瓶でした。

亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねました。

一人で本を読んでいた少年は、先生に気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫びました。

「ああ、お母さんの匂い!きょうは素敵なクリスマスだ!」

6年生の時、先生は少年の担任ではなくなりました。
卒業の時に、少年から一枚のカードが届きました。
「先生は僕のお母さんのようです。
 そして、今まで出会った中で、一番すばらしい先生でした。」

それから6年が経ち、またカードが届きました。
「明日は高校の卒業式です。
 僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
 おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」

さらに10年が経ち、またカードが届きました。

そこには、先生と出会えたことへの感謝と、父に叩かれた体験が
あるから患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締め
くくられていました。
「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。 あのままダメに
なってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に
担任してくださった先生です。」

そして1年後、届いたカードは結婚式の招待状でした。

「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていました。






  


Posted by りょーこ at 18:07Comments(6)

2008年10月09日

http://jp.youtube.com/watch?v=KCjYzmhXFcE



なぜめぐり逢うのかを
私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを
私たちはいつも知らない
どこにいたの生きてきたの
遠い空の下ふたつの物語

縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ生きてゆくのかを
迷った日の跡のささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡のささくれ
こんな糸がなんになるの
心許なくてふるえてた風の中

縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた横の糸は私
逢うべき糸に出会えることを
人は仕合わせと呼びます


作詞・作曲 中島みゆき












腸閉塞という病気にかかり、
手術をしました。

手術を受けるまでの状態が
あまりに辛くて、苦しくて、
生まれてからはじめて親の前で弱音を吐きました。

母親は泣いていました。
父親は私のことがみれませんでした。

あまり状態がよくなかったので、
入院中は、リカバリールームという
ICUの一歩手前の部屋で過ごしていました。



リカバリールームではテレビもみれないし、
ひたすら心電図や酸素なんかの機械の音に囲まれて、
過ごさないといけません。

私の主治医は、
時間が空けば様子をみにきてくれました。
朝6時にくるときもあれば、
夜10時にのそっとくるときも。

一体どんな勤務形態なんだ?と。

大学病院の医者って、
こんな親身なんや。。。

と、いい意味で裏切られた気分。


あるとき、
『こんなことあんまり患者さんには直接言わないんやけど、
手術をするか本気で悩んでいる。』

と、死のリスクや細かいところを聞かされ、

私はどうしようもない不安と恐怖を感じました。



そして、


何のやる気もおこらない
笑顔のない私のところにきて、

『なんちゅう顔しとんねん!
 そんなんじゃリハビリの仕事失格やなぁ~。
 暇やろうしこれ貸したるわ』

とipodを貸してくれました。




『もう持ってるから大丈夫です』

と断ろうとすると、






『ちゃうねん、これ聞いてみ。中に1曲しか入ってへんけどな』

と。

そのたった1曲が、
中島みゆきの『糸』でした。

ミスチルの桜井さんがBank Bandとして唄ってるのを何度か聞いたことがありましたが、
オリジナルが中島みゆきだとは知りませんでした。

ひとりでその曲を聴いて、
なぜか、無性に、
勇気がでました。


こんなとこで泣いてる場合ちゃうわ!と。



翌朝、先生がきて、
『ええ曲やろ?僕が手術する前にいっつもこれ聞くねん。ほなら、なんでか落ち着くねん。』
『しんどいときこそ笑っときやぁ~』


私は内心、
『なんやこのオッサン!』って思いつつも、
先生の顔をみると安心するし、
勇気をもらえるし、
なにせ、信頼できると心底感じました。


先生は、
『君の将来を考えると開腹での手術はしたないんや。』と。




でも、私からしたら、
『もうそんなん関係ないです。こんな状態苦しすぎるからはやくお腹開いてください。』






そんなやりとりが続く中で、


私のところにきた先生は、
『手術しよか。はじめは腹腔鏡でやってみるわ。それでもあかんかったら、ごめんやけど、お腹開くわな。』

と。




手術前、先生は部屋まで迎えにきてくれました。

『執刀医が病室まで迎えにくることなんてあるんですか?』
と、私がきくと、
ipod返してもらいにきたんやんか。

と。


もう、不安はまったくなくなりました。


手術が終わると、
無理やりに麻酔が解かれます。

ドラマの1シーンのように、
もうろうとした意識から徐々に目の前の世界が明るくなっていきます。

先生はとてつもなく大きな声で、
『ビキニ着れるようにしといたからな!』と、耳元で言っていました。





なんて粋なセリフを・・・

こんなドクター、はじめてです。




でも、
ipodになんでたった1曲しか入ってないんやろ。。。
相当『糸』が好きなんかな。。。

と、気になって聞いてみると、












『入れ方がわからない』と。笑



腹腔鏡の難しい手術はできても、
ipodに2曲目を入れることは、できないんですね。。。



人間て、ほんとに、不思議なもんです。



今回の入院生活で、
またひとつ、
新たな人間の本質というのか、
『人間くさいところ』を
肌で感じて、

命の重みを
ひしひしと感じることができました。


素敵な出逢いを経験できた私は本当に運がいい。




私のお腹の傷をつなぐ『糸』は、
お腹の中で溶けて、
やがて、
身体の傷をかばい、
心を暖めてくれることでしょう。
















  


Posted by りょーこ at 12:44Comments(4)MEDICAL