生きる
2008年01月17日
あれから13年という月日が流れました。
13年前の1月17日、朝5時46分。
私は、それまで経験したこともない大きな揺れと、
母親の叫び声で目を覚ましました。
気づいたときには、父親が私の身体の上に覆いかぶさっていました。
それからの記憶は、断片的にしかありません。
家じゅうの家具が倒れ、足の踏み場がないほど割れたガラスの破片が床にとびちり、
トイレにいっても水は流れず、蛇口をひねっても何もでてこなかった衝撃だけは今でも鮮明に覚えています。
当時私たち家族が住んでいたマンションは、
建物の構造上、地震に強くつくられていたのか、
ただ大きかったからなのかはわかりませんが、
その地域では珍しく、大きなケガ人は一人もでず、
建物自体もほとんど被害を受けることはありませんでした。
しかし、そのマンションの周辺は、
屋根瓦の昔からの木造住宅、一戸建ての家ばかりでした。
マンションからでた私たちは、その風景に驚きました。
戦争がおこったのかと思いました。
二階建ての家はぺちゃんこにつぶれ、
よく通った近くの電気屋さん家は、屋根しかないんです。
いつもは見上げているはずの屋根が、地面にあるんです。
家自体は壊れていなくても、二階の窓からは火がでていたりで、
焦げ臭い匂いが凄くて、
おっちゃんおばちゃんが、『助けて!!』って・・・
いつもの道なのに、いつもと違う景色。
私はわけもわからず、家の近所をただただ歩いていました。
気づいたときには、一緒に家をでたはずの父、母、兄と知らない間にはぐれてしまっていました。
そこからの記憶は、衝撃的すぎて、私の脳の中ではあまりにも鮮明です。
家族とはぐれた私は、
『子供たちは学校に向かいなさい!』
とそこらじゅうの大人が叫んでいるのを聞いて、
とりあえず小学校なら安全と思い、家から5分の学校へ向かって歩いていました。
いつもの学校への道の途中、
あれ?私のお父さんがなぜか屋根の上にいる!と思った瞬間、
『りょーこ!家もどって、毛布と軍手取ってきてくれ!デーとターがこの中におんねん!』
ぺしゃんこにつぶれたある家の屋根の上にいる父親にそう叫ばれ、私は一人で急いで家に戻りました。
家に着き、部屋の中に入った瞬間、余震がきました。
震度でいうと、3くらいのもんです。
でも、その小さな揺れは、9歳の私にはあまりにも恐ろしいものでした。
はやくお父さんのところに戻りたい。
焦って、泣きながら、倒れたタンスをみつけ、
その中から軍手をとりだし、さっきまでかぶっていた毛布をもって、
父親のところへ戻りました。
父親は、屋根の瓦を一枚一枚取り除きながら、
『デー! ター!大丈夫か??』と叫んでいます。
デー?ター?
え?ここデーとターの家?
でもデーとターの家は二階建て・・・やったよな・・・
あまりにも景色が違いすぎて、そのときはわからなかったけれど、
そのぺしゃんこの家は、地震が起こる日の前の晩、私たち兄弟が遊びにきた、
ターとデー、敬之と英之という双子の兄弟の家だったのです。
ターとデーは私の兄と同じ年(12歳)で、兄とともに、少年野球チームに所属していました。
私の父はその野球チームの助監督をしていました。
双子の兄のターは、私の初恋の人でした。
ターと一緒に遊びたくて、構ってほしくて、私はわざわざ兄の野球の練習についていったり、
呼ばれてもいないのに、双子の家によく遊びにいっていたのです。
走ってターとデーの家の近くに戻ったとき、ふと気がつきました。
あれ?昨日一緒にソーダアイスを食べた二階部分がない・・・二階の部屋がない!
と不思議な感覚に陥っていると、
私をみつけた父親が、
『りょーこ!毛布ここまでもってきて!』
と大きな声で叫びました。
がれきを踏みながらそばまで近寄ると、デーの低い声が聞こえました。
『ターがテレビの下敷きになってるねん』と、デーは悲しそうな眼で言ってました。
父親は、すぐにデーをがれきの中から引きずり出しました。
デーの頭からは血がいっぱい流れていましたが、眼はパッチリ開いていていました。
救急車なんてもちろん来るわけがありません。
誰だか知らない近所のおばさんが私と一緒にデーの応急処置にあたってくれました。
デーの血を拭いている最中も、
父親はがれきにむかって『ター!どこや?』
と叫んでいます。
何分経ったかわかりません。
もしかしたら1時間以上経っていたかもしれません。
ハッと父親の叫び声が聞こえました。
知らないオジサンと父親が、ターをがれきの中からひきずりだしていました。
父親は寝巻き姿の血だらけのターを抱きかかえて、毛布にくるんであげました。
私は、生まれて初めて、遺体を触りました。
ターの身体はもう冷たくて、手足は打ち身のように青くなっていました。
父親は、『りょーこ。ターと握手しとき。しっかりみとき。』
と言って、私の手をとってターの身体に触れさせました。
怖くてたまりませんでした。
でも、ターの顔はいつものように優しくて、穏やかで、私の大好きなターの顔でした。
父親が泣いているのをみたのも、そのときが初めてでした。
涙を流す父親をみて、私は感じたことのない悲しみを感じました。
訳がわからなくなりました。
それからのことはあまりよく覚えていません。
阪神大震災は、私の大好きなターや、そのターのおばあちゃん、
そして、6千人以上ものを命を奪いました。
もし、震災が起こらなかったら、ターは今25歳を迎えています。
亡くなった6千人以上もの人は、13年後の今日を笑顔で元気に生きているはずです。
私たちは、自然界に生かされていて、
その上ではじめて、笑ったり、起こったり、泣いたりできるんだと、改めて思います。
よく、心の中では生きている。と言いますが、
私にとってターは、まさにそんな存在です。
たった12年の命だったけれど、あの日みんなで誓いました。
ターの死を絶対無駄にしない。と・・・
そして2008年。
双子の弟、デーは今、自衛隊に所属しています。
デーが助け出されたとき、その後の処置や面倒を一切みてくれたのは自衛隊の男の人でした。
そしてターを遺体安置所に運んでくれたのも自衛隊の人でした。
デーが高校を出て自衛隊に行く!といったときの眼は、
ターにも勝る優しさと強さがありました。
私の兄。
大切な友達を亡くした口数の少ない兄は、
地震なんかじゃ崩れない建物をつくる!と言ってか言わずか、
大学で土木工学を勉強し、今年、晴れて、建設会社に就職するそうです。
時間の経過に伴って、段々と風化されていってしまうのが現実だけれど、
私は、ターに恥じない人生を、一日一日、穏やかに、しっかりと生きていきたいと思います。

13年前の1月17日、朝5時46分。
私は、それまで経験したこともない大きな揺れと、
母親の叫び声で目を覚ましました。
気づいたときには、父親が私の身体の上に覆いかぶさっていました。
それからの記憶は、断片的にしかありません。
家じゅうの家具が倒れ、足の踏み場がないほど割れたガラスの破片が床にとびちり、
トイレにいっても水は流れず、蛇口をひねっても何もでてこなかった衝撃だけは今でも鮮明に覚えています。
当時私たち家族が住んでいたマンションは、
建物の構造上、地震に強くつくられていたのか、
ただ大きかったからなのかはわかりませんが、
その地域では珍しく、大きなケガ人は一人もでず、
建物自体もほとんど被害を受けることはありませんでした。
しかし、そのマンションの周辺は、
屋根瓦の昔からの木造住宅、一戸建ての家ばかりでした。
マンションからでた私たちは、その風景に驚きました。
戦争がおこったのかと思いました。
二階建ての家はぺちゃんこにつぶれ、
よく通った近くの電気屋さん家は、屋根しかないんです。
いつもは見上げているはずの屋根が、地面にあるんです。
家自体は壊れていなくても、二階の窓からは火がでていたりで、
焦げ臭い匂いが凄くて、
おっちゃんおばちゃんが、『助けて!!』って・・・
いつもの道なのに、いつもと違う景色。
私はわけもわからず、家の近所をただただ歩いていました。
気づいたときには、一緒に家をでたはずの父、母、兄と知らない間にはぐれてしまっていました。
そこからの記憶は、衝撃的すぎて、私の脳の中ではあまりにも鮮明です。
家族とはぐれた私は、
『子供たちは学校に向かいなさい!』
とそこらじゅうの大人が叫んでいるのを聞いて、
とりあえず小学校なら安全と思い、家から5分の学校へ向かって歩いていました。
いつもの学校への道の途中、
あれ?私のお父さんがなぜか屋根の上にいる!と思った瞬間、
『りょーこ!家もどって、毛布と軍手取ってきてくれ!デーとターがこの中におんねん!』
ぺしゃんこにつぶれたある家の屋根の上にいる父親にそう叫ばれ、私は一人で急いで家に戻りました。
家に着き、部屋の中に入った瞬間、余震がきました。
震度でいうと、3くらいのもんです。
でも、その小さな揺れは、9歳の私にはあまりにも恐ろしいものでした。
はやくお父さんのところに戻りたい。
焦って、泣きながら、倒れたタンスをみつけ、
その中から軍手をとりだし、さっきまでかぶっていた毛布をもって、
父親のところへ戻りました。
父親は、屋根の瓦を一枚一枚取り除きながら、
『デー! ター!大丈夫か??』と叫んでいます。
デー?ター?
え?ここデーとターの家?
でもデーとターの家は二階建て・・・やったよな・・・
あまりにも景色が違いすぎて、そのときはわからなかったけれど、
そのぺしゃんこの家は、地震が起こる日の前の晩、私たち兄弟が遊びにきた、
ターとデー、敬之と英之という双子の兄弟の家だったのです。
ターとデーは私の兄と同じ年(12歳)で、兄とともに、少年野球チームに所属していました。
私の父はその野球チームの助監督をしていました。
双子の兄のターは、私の初恋の人でした。
ターと一緒に遊びたくて、構ってほしくて、私はわざわざ兄の野球の練習についていったり、
呼ばれてもいないのに、双子の家によく遊びにいっていたのです。
走ってターとデーの家の近くに戻ったとき、ふと気がつきました。
あれ?昨日一緒にソーダアイスを食べた二階部分がない・・・二階の部屋がない!
と不思議な感覚に陥っていると、
私をみつけた父親が、
『りょーこ!毛布ここまでもってきて!』
と大きな声で叫びました。
がれきを踏みながらそばまで近寄ると、デーの低い声が聞こえました。
『ターがテレビの下敷きになってるねん』と、デーは悲しそうな眼で言ってました。
父親は、すぐにデーをがれきの中から引きずり出しました。
デーの頭からは血がいっぱい流れていましたが、眼はパッチリ開いていていました。
救急車なんてもちろん来るわけがありません。
誰だか知らない近所のおばさんが私と一緒にデーの応急処置にあたってくれました。
デーの血を拭いている最中も、
父親はがれきにむかって『ター!どこや?』
と叫んでいます。
何分経ったかわかりません。
もしかしたら1時間以上経っていたかもしれません。
ハッと父親の叫び声が聞こえました。
知らないオジサンと父親が、ターをがれきの中からひきずりだしていました。
父親は寝巻き姿の血だらけのターを抱きかかえて、毛布にくるんであげました。
私は、生まれて初めて、遺体を触りました。
ターの身体はもう冷たくて、手足は打ち身のように青くなっていました。
父親は、『りょーこ。ターと握手しとき。しっかりみとき。』
と言って、私の手をとってターの身体に触れさせました。
怖くてたまりませんでした。
でも、ターの顔はいつものように優しくて、穏やかで、私の大好きなターの顔でした。
父親が泣いているのをみたのも、そのときが初めてでした。
涙を流す父親をみて、私は感じたことのない悲しみを感じました。
訳がわからなくなりました。
それからのことはあまりよく覚えていません。
阪神大震災は、私の大好きなターや、そのターのおばあちゃん、
そして、6千人以上ものを命を奪いました。
もし、震災が起こらなかったら、ターは今25歳を迎えています。
亡くなった6千人以上もの人は、13年後の今日を笑顔で元気に生きているはずです。
私たちは、自然界に生かされていて、
その上ではじめて、笑ったり、起こったり、泣いたりできるんだと、改めて思います。
よく、心の中では生きている。と言いますが、
私にとってターは、まさにそんな存在です。
たった12年の命だったけれど、あの日みんなで誓いました。
ターの死を絶対無駄にしない。と・・・
そして2008年。
双子の弟、デーは今、自衛隊に所属しています。
デーが助け出されたとき、その後の処置や面倒を一切みてくれたのは自衛隊の男の人でした。
そしてターを遺体安置所に運んでくれたのも自衛隊の人でした。
デーが高校を出て自衛隊に行く!といったときの眼は、
ターにも勝る優しさと強さがありました。
私の兄。
大切な友達を亡くした口数の少ない兄は、
地震なんかじゃ崩れない建物をつくる!と言ってか言わずか、
大学で土木工学を勉強し、今年、晴れて、建設会社に就職するそうです。
時間の経過に伴って、段々と風化されていってしまうのが現実だけれど、
私は、ターに恥じない人生を、一日一日、穏やかに、しっかりと生きていきたいと思います。
Posted by りょーこ at 00:02│Comments(34)
│雑記
◆ この記事へのコメント
りょうこちゃんへ
ブログを読みながら涙を流したのは初めてだよ。
私にも少しだけこの場を貸してください
1月17日。この日は私にとって一年の中でもかなり特別な日です。
13年前、私は東京でテレビの中に壮絶な映像が流れているのを見ていました。おじいちゃん達が関西にいるのに何が起こっていているのか無事なのかさえも確認ができませんでした。
学校中が震災の話でもちきりになっていて…
次から次へと報道される死者の数は増えていくばかりで止まる気配がなかったことに恐怖と涙が生まれたのを覚えています。人間って小さいなぁと無力に思えました。
その後毎年この日には学校で黙祷の時間があり、冥福を祈ってきました。
そしてりょーこちゃんのいるこの土地に引っ越し、校舎のヒビ、新しい家々、小さな地震にパニックになる友人と出逢い、みんなに残る傷の大きさを知りました。
今日は25年前、この世に私が生まれた日で、13年前に多くの人にとって大切な人の命日になった日です。
被災していない私に一生色褪せることのない記憶と命の尊さを刻み、教えてくれた。
誕生日を迎えるたびにただ生きていることに未来があることに感謝しています。
ブログを読みながら涙を流したのは初めてだよ。
私にも少しだけこの場を貸してください
1月17日。この日は私にとって一年の中でもかなり特別な日です。
13年前、私は東京でテレビの中に壮絶な映像が流れているのを見ていました。おじいちゃん達が関西にいるのに何が起こっていているのか無事なのかさえも確認ができませんでした。
学校中が震災の話でもちきりになっていて…
次から次へと報道される死者の数は増えていくばかりで止まる気配がなかったことに恐怖と涙が生まれたのを覚えています。人間って小さいなぁと無力に思えました。
その後毎年この日には学校で黙祷の時間があり、冥福を祈ってきました。
そしてりょーこちゃんのいるこの土地に引っ越し、校舎のヒビ、新しい家々、小さな地震にパニックになる友人と出逢い、みんなに残る傷の大きさを知りました。
今日は25年前、この世に私が生まれた日で、13年前に多くの人にとって大切な人の命日になった日です。
被災していない私に一生色褪せることのない記憶と命の尊さを刻み、教えてくれた。
誕生日を迎えるたびにただ生きていることに未来があることに感謝しています。
Posted by OG☆ at 2008年01月17日 03:44
おはようございます
感動でしたよ~
上に同じでした。
何も言う事はありません。
このりょーこちゃんの記事
私のブログからリンクさせてもらいますね。
感動でしたよ~
上に同じでした。
何も言う事はありません。
このりょーこちゃんの記事
私のブログからリンクさせてもらいますね。
Posted by TADARIN
at 2008年01月17日 10:41

TADARINさんのブログから来ました…。読んでいて、なんだか悲しく、怖く、その場の方々にしか言い表せない悲惨な情景が浮かびました。自分は、沖縄ですがまだああいった大きな地震の被害にあったことがないものですから…。たしか朝、テレビを何気なくつけると高速道路が横倒しになって、分断された道路にバスがとまっていたのを覚えています。たくさんの方々がなくなられてすごく衝撃でした。亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
Posted by hideboooo43こと不養生な薬屋 at 2008年01月17日 10:59
TADARINさんのブログからきました。
記事を読んで…何てコメントしていいのかわかりません。ただただ涙を流していました。
お話してくれてありがとう。いろんなことを考えさせられました。
記事を読んで…何てコメントしていいのかわかりません。ただただ涙を流していました。
お話してくれてありがとう。いろんなことを考えさせられました。
Posted by aju... at 2008年01月17日 12:27
初めまして
TADARINさんのブログよりきました。
あの時のあの日の映像をテレビで見たのを今でも鮮明に覚えています。
私は沖縄在住ですがテレビを見ながら母が大変なことに・・・と
ずっと言ってたのをすごく覚えています。
自分の身に降りかかった出来事をここまで思い返し・・・
言葉にし記事にしたりょーこさんの勇気にとても感動しています。
そしてこの記事を書いてくれた事を感謝しています。
私はこの記事からたくさんの事を改めて教えられました。
経験した人にしかわからない苦しみ悲しみ痛みがあると思います。
その思いをわたしのような人が安易に感じとってはいけないと思っています。
ただただ私が願うのはこれからのりょーこさんの人生にたくさんの
笑顔がありますように・・・です。
長々と読んで頂きありがとうございました!
かげながら応援しています!
TADARINさんのブログよりきました。
あの時のあの日の映像をテレビで見たのを今でも鮮明に覚えています。
私は沖縄在住ですがテレビを見ながら母が大変なことに・・・と
ずっと言ってたのをすごく覚えています。
自分の身に降りかかった出来事をここまで思い返し・・・
言葉にし記事にしたりょーこさんの勇気にとても感動しています。
そしてこの記事を書いてくれた事を感謝しています。
私はこの記事からたくさんの事を改めて教えられました。
経験した人にしかわからない苦しみ悲しみ痛みがあると思います。
その思いをわたしのような人が安易に感じとってはいけないと思っています。
ただただ私が願うのはこれからのりょーこさんの人生にたくさんの
笑顔がありますように・・・です。
長々と読んで頂きありがとうございました!
かげながら応援しています!
Posted by マッちゃん at 2008年01月17日 13:30
りょうこさん、初めまして。
私もみなさんと同じく現在沖縄に住んでいて、TADARINさんのブログからきました。
本当に何と言っていいか、言葉にならないのですが
想像も絶するような、こんなに辛い体験を話してくださってありがとうございます。
りょうこさんの想い、私は言葉にはできませんけど、伝わってきましたよ。
辛いことだけど、伝え続けていくことに意味があるのかもしれません。
絶対に風化させてはいけないと思います。
命の大切さを、私も子供たちに伝えていかなくてはいけないと思いました。
本当にありがとう。
私もみなさんと同じく現在沖縄に住んでいて、TADARINさんのブログからきました。
本当に何と言っていいか、言葉にならないのですが
想像も絶するような、こんなに辛い体験を話してくださってありがとうございます。
りょうこさんの想い、私は言葉にはできませんけど、伝わってきましたよ。
辛いことだけど、伝え続けていくことに意味があるのかもしれません。
絶対に風化させてはいけないと思います。
命の大切さを、私も子供たちに伝えていかなくてはいけないと思いました。
本当にありがとう。
Posted by はるまま at 2008年01月17日 13:59
はじめまして(^-^)ぽろりんといいます。タダリンさんのブログから飛んできました。よろしく☆ω☆
大切な日でありツライ日でもあったんですね(^-^)悲しい事を乗り越えられたから今がある。
優しくなれるんじゃないかな?と思いましたよ(^-^)
大切な日でありツライ日でもあったんですね(^-^)悲しい事を乗り越えられたから今がある。
優しくなれるんじゃないかな?と思いましたよ(^-^)
Posted by ぽろりん at 2008年01月17日 15:22
゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*
りょーこサン☆ こんにちは!!
ブログ読んでて、涙が出てきました。
私は、テレビでしかその地震を知りません・・・
同じ日本でこんな事がおこるなんて・・・
っと小学生ながらに、私は何もできないんだぁ・・・
っと悔しかったのを覚えています(;_;)
りょーこさんの経験した地震は、
たくさんの人の幸せを奪い、悲しみを残したと思います。
でも、前向きに生きてる皆さんが
とても強くたくましく見えます!!
私も、辛いことから逃げるんじゃなく、
立ち向かっていけるよぉ、気持ちを強く前向きに
これからも頑張っていきたいと思います!!
お互い頑張りましょうネッ(●^o^●)
゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*
りょーこサン☆ こんにちは!!
ブログ読んでて、涙が出てきました。
私は、テレビでしかその地震を知りません・・・
同じ日本でこんな事がおこるなんて・・・
っと小学生ながらに、私は何もできないんだぁ・・・
っと悔しかったのを覚えています(;_;)
りょーこさんの経験した地震は、
たくさんの人の幸せを奪い、悲しみを残したと思います。
でも、前向きに生きてる皆さんが
とても強くたくましく見えます!!
私も、辛いことから逃げるんじゃなく、
立ち向かっていけるよぉ、気持ちを強く前向きに
これからも頑張っていきたいと思います!!
お互い頑張りましょうネッ(●^o^●)
゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*:・。♪゜・:*
Posted by 江莉 at 2008年01月17日 15:57
OG☆さんへ
まずは、誕生日おめでとうございます!!
そして、いつもコメントありがとうございます。
少しの揺れでパニックになるのは、実は私もそうです・・・
自分でもびっくりするくらい、傷は深かったのかもしれません。
でも、笑顔でいることが、ターへの報いになるんじゃないかと、思ってます。
ターとOG☆さん、同い年ですね^^
まずは、誕生日おめでとうございます!!
そして、いつもコメントありがとうございます。
少しの揺れでパニックになるのは、実は私もそうです・・・
自分でもびっくりするくらい、傷は深かったのかもしれません。
でも、笑顔でいることが、ターへの報いになるんじゃないかと、思ってます。
ターとOG☆さん、同い年ですね^^
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 16:43

(T^T)
ターに今のりょーこを見せたい。
ターの代わりに言います。
『今のあなたは、とても素敵です☆』
ターに今のりょーこを見せたい。
ターの代わりに言います。
『今のあなたは、とても素敵です☆』
Posted by 23。 at 2008年01月17日 16:44
TADARINへ
ブログのリンク、本当にありがとうございます。
たくさんの人に読んでもらえて、よかったです。
こんな事実があったことを黙っておくことにはあまり意味を感じなかったので、これだけ反響があって、純粋に嬉しく思います!
震災を体験した、してないは大きいことかもしれませんが、
その事実を知って、
どう考えたり、どう行動に移すかの方がもっと大切だなぁ~と、思いました。
ブログのリンク、本当にありがとうございます。
たくさんの人に読んでもらえて、よかったです。
こんな事実があったことを黙っておくことにはあまり意味を感じなかったので、これだけ反響があって、純粋に嬉しく思います!
震災を体験した、してないは大きいことかもしれませんが、
その事実を知って、
どう考えたり、どう行動に移すかの方がもっと大切だなぁ~と、思いました。
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 16:46

不養生な薬屋さんへ
コメント、ありがとうございます。
沖縄は、地震はなくても、台風は毎年のように災害が酷いですよね?
規模の大きさはあるにしろ、人が傷ついたり、家が壊れたり・・・
高速道路が割れたのは、当時私が住んでいたすぐ近くのところでした。
バスの上に雪が積もっていて・・・
今思い出すと、凄く怖いことですね。
コメント、ありがとうございます。
沖縄は、地震はなくても、台風は毎年のように災害が酷いですよね?
規模の大きさはあるにしろ、人が傷ついたり、家が壊れたり・・・
高速道路が割れたのは、当時私が住んでいたすぐ近くのところでした。
バスの上に雪が積もっていて・・・
今思い出すと、凄く怖いことですね。
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 16:51

aju... さんへ
コメントありがとうございます。
そして長い文章読んで頂いて感謝です。
私も言葉でどう説明すれば伝わるのか、悩みましたが、
その時感じたことや記憶を思いのままに書きました。
こういった事実は、戦争ではないにしろ、語りついでいってもらえれば嬉しく思います^^
コメントありがとうございます。
そして長い文章読んで頂いて感謝です。
私も言葉でどう説明すれば伝わるのか、悩みましたが、
その時感じたことや記憶を思いのままに書きました。
こういった事実は、戦争ではないにしろ、語りついでいってもらえれば嬉しく思います^^
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 16:53

マッちゃんさんへ
コメントありがとうございます。
こちらこそ、長い文章をそんなに読んで頂いて、そこまで感じ取って下さったことに、感謝します。
経験した人にしかわからない苦しみ悲しみ痛みがあるのは本当にそうだと、思いますが、人に命や、人の痛み、悲しみに優劣なんて思います。だから、マッちゃんさんのような心の優しい方にこそ、こういった事実を知ってもらえて、そこまで感じてくれて私はほんとに嬉しく思います。
一番悲しいのが誰かなんてないと思います。
ただ、一番悔しいのは、亡くなった人自身だと思います。
コメントありがとうございます。
こちらこそ、長い文章をそんなに読んで頂いて、そこまで感じ取って下さったことに、感謝します。
経験した人にしかわからない苦しみ悲しみ痛みがあるのは本当にそうだと、思いますが、人に命や、人の痛み、悲しみに優劣なんて思います。だから、マッちゃんさんのような心の優しい方にこそ、こういった事実を知ってもらえて、そこまで感じてくれて私はほんとに嬉しく思います。
一番悲しいのが誰かなんてないと思います。
ただ、一番悔しいのは、亡くなった人自身だと思います。
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 16:58

はるままさんへ
はじめまして^^
コメントありがとうございます。
正直なところ、今の私には、想像も絶するような出来事でした。
実際、断片的にしか覚えていないこともたくさんあります。
でも、はるままさんのあったかい心に伝わって、よかったです!
ほんとに風化させてはいけないことですね!
言葉だけにはなりたくないと、思いました。
子供さんにも伝えてあげてくださいね^^
こちらこそ、ありがとうございました。
はじめまして^^
コメントありがとうございます。
正直なところ、今の私には、想像も絶するような出来事でした。
実際、断片的にしか覚えていないこともたくさんあります。
でも、はるままさんのあったかい心に伝わって、よかったです!
ほんとに風化させてはいけないことですね!
言葉だけにはなりたくないと、思いました。
子供さんにも伝えてあげてくださいね^^
こちらこそ、ありがとうございました。
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 17:01

ぽろりんさんへ
はじめまして^^
コメント、どうもありがとうございます!
優しくなれてるかどうかは・・・わかりません!
でも、穏やかでいたいとはいつも思っています。
それは、ターという男の子が、とても穏やかだったからです^^
もっともっと優しくならないと!と、思いました。
はじめまして^^
コメント、どうもありがとうございます!
優しくなれてるかどうかは・・・わかりません!
でも、穏やかでいたいとはいつも思っています。
それは、ターという男の子が、とても穏やかだったからです^^
もっともっと優しくならないと!と、思いました。
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 17:04

江莉さんへ
コメントありがとうございます!!
涙を流すくらい、感じ取ってもらえて、ほんとに嬉しいです。
地震が起こった日は、それまで地震なんて言葉すら知らなかったですから、この日本でも戦争が起こってしまったのか。と、思いました・・・
沖縄からみれば、絶対に戦争だと思いますよね。
でも、江莉さんの言う通り、人は逆境に立ち向かえる強さがあると、思います。
もっと強く、優しくならないと・・・と、痛感しています。
お互いに、がんばりましょう☆
コメントありがとうございます!!
涙を流すくらい、感じ取ってもらえて、ほんとに嬉しいです。
地震が起こった日は、それまで地震なんて言葉すら知らなかったですから、この日本でも戦争が起こってしまったのか。と、思いました・・・
沖縄からみれば、絶対に戦争だと思いますよね。
でも、江莉さんの言う通り、人は逆境に立ち向かえる強さがあると、思います。
もっと強く、優しくならないと・・・と、痛感しています。
お互いに、がんばりましょう☆
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 17:08

にぃ~~~~さんへ
ありがとうございます。
素敵と言ってもらえることは純粋に嬉しいです。
でも、素敵な人たちに出逢えて、素敵な人たちに囲まれているから、今は少しだけ自信を持って、ターに自分をみせられる気がします^^
ありがとうございます。
素敵と言ってもらえることは純粋に嬉しいです。
でも、素敵な人たちに出逢えて、素敵な人たちに囲まれているから、今は少しだけ自信を持って、ターに自分をみせられる気がします^^
Posted by りょーこ
at 2008年01月17日 17:12

私は・・ りょーこちゃんのこの記事を今夜、拝見しました。
震災のときの現場の様子や、りょーこちゃんやお父様の気持ちが伝わり
胸が詰まるような・・号泣・・でした。
幼い頃の消えることのない辛い記憶を、よく書いて頂きました。
その後の皆さんが、今も心に生きる他界された親しき方達の分も
そして、恥じないように真摯に生きられるている姿から
生かされている命の尊さと、悔いなく生きることの大切さを
改めて学びました。
りょーこちゃん、本当にありがとうございました。
震災のときの現場の様子や、りょーこちゃんやお父様の気持ちが伝わり
胸が詰まるような・・号泣・・でした。
幼い頃の消えることのない辛い記憶を、よく書いて頂きました。
その後の皆さんが、今も心に生きる他界された親しき方達の分も
そして、恥じないように真摯に生きられるている姿から
生かされている命の尊さと、悔いなく生きることの大切さを
改めて学びました。
りょーこちゃん、本当にありがとうございました。
Posted by yuria
at 2008年01月18日 00:08

yuriaさんへ
コメント、ありがとうございます。
みなさんが私にお礼を言って下さるのですが、私は不思議な気分です。
私の方がお礼を言わなければいけません!
ここまでたくさんのことを感じて、共感して、そして改めていろんなことを思って頂けて、ほんとに嬉しく思っています。
生かされている命というのは、震災を体験しなかったら、私は考えていなかったのかな。。。と、思います。
コメント、ありがとうございます。
みなさんが私にお礼を言って下さるのですが、私は不思議な気分です。
私の方がお礼を言わなければいけません!
ここまでたくさんのことを感じて、共感して、そして改めていろんなことを思って頂けて、ほんとに嬉しく思っています。
生かされている命というのは、震災を体験しなかったら、私は考えていなかったのかな。。。と、思います。
Posted by りょーこ
at 2008年01月18日 00:43

はじめまして!!!
ブログ読んで、涙が止まりません。
大好きな人が亡くなる…しかも、なんの前触れもなく突然…。考えられません。
同じ日本でも、全然、違うことが起こって…
本当に、なんの罪もなく被害になった方達の分も、生きたいと思います。
ブログ読んで、涙が止まりません。
大好きな人が亡くなる…しかも、なんの前触れもなく突然…。考えられません。
同じ日本でも、全然、違うことが起こって…
本当に、なんの罪もなく被害になった方達の分も、生きたいと思います。
Posted by ♪SYK♪ at 2008年01月18日 01:18
りょーこさん
TADARINさんのブログからきました。
涙が止まりません・・・
私達が今、幸せに生かされている事に改めて
感謝しなければいけないと感じました。
うまく言葉にできませんが、辛い思い出を
このように言葉にして、皆に伝えてくれてありがとう。
TADARINさんのブログからきました。
涙が止まりません・・・
私達が今、幸せに生かされている事に改めて
感謝しなければいけないと感じました。
うまく言葉にできませんが、辛い思い出を
このように言葉にして、皆に伝えてくれてありがとう。
Posted by kotamama
at 2008年01月18日 01:23

おはようございます。
TADARINさんのブログから紹介され、
昨日りょーこさんの記事拝見させて頂きました。
昨日はもう胸が詰まり、涙がとまらず・・・言葉も見つからず、
コメントもできませんでしたm(_ _)m
9歳、今私の子、次男が9歳です。
りょーこさん小さな体でよく頑張りましたね。
子供の頃に負った深い心の傷、辛い記憶、
本当によく話してくださいましたね。
改めて命の尊さ、今私たちが生かされていることへの感謝、
色々考えさせられました。
うまく伝えることが出来ずにごめんなさいm(_ _)m
ターくんに恥じない人生を、一日一日、しっかりと生きているりょーこさん、
本当に素敵です。
本当に本当にありがとうございます。
TADARINさんのブログから紹介され、
昨日りょーこさんの記事拝見させて頂きました。
昨日はもう胸が詰まり、涙がとまらず・・・言葉も見つからず、
コメントもできませんでしたm(_ _)m
9歳、今私の子、次男が9歳です。
りょーこさん小さな体でよく頑張りましたね。
子供の頃に負った深い心の傷、辛い記憶、
本当によく話してくださいましたね。
改めて命の尊さ、今私たちが生かされていることへの感謝、
色々考えさせられました。
うまく伝えることが出来ずにごめんなさいm(_ _)m
ターくんに恥じない人生を、一日一日、しっかりと生きているりょーこさん、
本当に素敵です。
本当に本当にありがとうございます。
Posted by 3兄弟’S mama at 2008年01月18日 09:36
♪SYK♪さん
はじめましてです。
コメントありがとうございます。
何の前触れもなく亡くなることって、地震だけじゃないですし、私だってこうして今、ブログを書けているという幸せな事実に感謝しなきゃなぁ~と、思います^^
お互いに、幸せに生きていきましょう~☆
はじめましてです。
コメントありがとうございます。
何の前触れもなく亡くなることって、地震だけじゃないですし、私だってこうして今、ブログを書けているという幸せな事実に感謝しなきゃなぁ~と、思います^^
お互いに、幸せに生きていきましょう~☆
Posted by りょーこ at 2008年01月18日 16:42
kotamamaさん
コメントどうもです。
ありがとうございます。
ほんとにうまく言葉にできないです。
それだけ単純じゃないってことですよね。
こちらこそ、kotamamaさんやたくさんの方に聞いて頂けて嬉しく思ってます!!!
コメントどうもです。
ありがとうございます。
ほんとにうまく言葉にできないです。
それだけ単純じゃないってことですよね。
こちらこそ、kotamamaさんやたくさんの方に聞いて頂けて嬉しく思ってます!!!
Posted by りょーこ at 2008年01月18日 16:44
3兄弟's mamaさんへ
しにくいコメント、わざわざありがとうございます!!!!!
お子さん、9歳なんですね。
ぜひ、お子さんにも伝えてあげてください。
ターに恥じない人生にはまだまだ遠いですが、強く穏やかに生きていきたいと思ってます^^
お子さんがおられる3兄弟’s mamaさんには、より強烈なお話に聞こえたかもしれません・・・
なのに、お礼を言って頂いて、こちらこそ。という気持ちでいっぱいです。
きっと、こんな素敵な3兄弟’s mamaさんのお子さんたちは、強くて優しい子たちなんだろうなぁ~と想像してます^^
しにくいコメント、わざわざありがとうございます!!!!!
お子さん、9歳なんですね。
ぜひ、お子さんにも伝えてあげてください。
ターに恥じない人生にはまだまだ遠いですが、強く穏やかに生きていきたいと思ってます^^
お子さんがおられる3兄弟’s mamaさんには、より強烈なお話に聞こえたかもしれません・・・
なのに、お礼を言って頂いて、こちらこそ。という気持ちでいっぱいです。
きっと、こんな素敵な3兄弟’s mamaさんのお子さんたちは、強くて優しい子たちなんだろうなぁ~と想像してます^^
Posted by りょーこ at 2008年01月18日 16:51
こんばんは。TADARINさんのブログから来ました。
僕はその当時15歳であまり当時のことは記憶に残っていませんが、
りょーこさんの記事を見て、当時の状況が目に浮かびました。
そして、皆さんと同じように悲しい気持ちになりました。
と同時に、決して忘れてはいけないなと強く思いました。
僕はその当時15歳であまり当時のことは記憶に残っていませんが、
りょーこさんの記事を見て、当時の状況が目に浮かびました。
そして、皆さんと同じように悲しい気持ちになりました。
と同時に、決して忘れてはいけないなと強く思いました。
Posted by しゅんぺ~
at 2008年01月18日 21:26

はじめまして、TADARINさんのブログから遅まきながらお邪魔させていただきます
読んでいて、涙が止まりませんでした
あれから13年もたったんですね
あの時のニュースは鮮明に覚えています
その当時、兄達が大阪に住んでいたので、ニュースを見たとき背中が凍る思いでした
怖がりの私は、あのニュース以来、高架橋の下を通る度ドキドキしています
でも、亡くなった方たちの分まで強く逞しく、本当に皆さん頑張っている姿にも感動します
「生きる」ことがどれだけ幸せな事か考えさせられる日でもありますね
沖縄の言葉に「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります
一番大切なのは命、生きていればなんとかなる
本当の宝は「命」という意味があります
りょーこさんのような人がいっぱいの世の中になればいいなと、心から祈ります
ありがとうございます
読んでいて、涙が止まりませんでした
あれから13年もたったんですね
あの時のニュースは鮮明に覚えています
その当時、兄達が大阪に住んでいたので、ニュースを見たとき背中が凍る思いでした
怖がりの私は、あのニュース以来、高架橋の下を通る度ドキドキしています
でも、亡くなった方たちの分まで強く逞しく、本当に皆さん頑張っている姿にも感動します
「生きる」ことがどれだけ幸せな事か考えさせられる日でもありますね
沖縄の言葉に「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります
一番大切なのは命、生きていればなんとかなる
本当の宝は「命」という意味があります
りょーこさんのような人がいっぱいの世の中になればいいなと、心から祈ります
ありがとうございます
Posted by とんとん
at 2008年01月20日 01:34

りょーこちゃんの日記見て涙が出ました。
あの朝、13階から見た甲子園、芦屋、神戸はいくつもの煙が立ち上り
異様な静けさに包まれていました。
そこからは怒涛のような時間の連続。
今日、用事があって尼崎に行った時JR事故の踏み切りを通りました。
あれから数年経った今もガードマンが常駐し、一礼した私達に深いお辞儀を返しました。
過ぎ行く日々の中でたくさんの命がなくなっている事を忘れずに、
毎日一生懸命頑張らなくてはね。
大切な事、改めて感じました。
りょーこちゃん、ありがとう。
あの朝、13階から見た甲子園、芦屋、神戸はいくつもの煙が立ち上り
異様な静けさに包まれていました。
そこからは怒涛のような時間の連続。
今日、用事があって尼崎に行った時JR事故の踏み切りを通りました。
あれから数年経った今もガードマンが常駐し、一礼した私達に深いお辞儀を返しました。
過ぎ行く日々の中でたくさんの命がなくなっている事を忘れずに、
毎日一生懸命頑張らなくてはね。
大切な事、改めて感じました。
りょーこちゃん、ありがとう。
Posted by おっき~ at 2008年01月20日 09:33
はじめまして。
この記事を呼んで涙が止まりません。
戦争でもなく、不可抗力で一瞬にして景色が変わってしまう。。。大切な人がいなくなってしまう。。。って凄く辛いことですね。
一日一日ほんとに、大事に生きなきゃならないですね。
命の大切さを教えてくれて、ありがとうございます。
この記事を呼んで涙が止まりません。
戦争でもなく、不可抗力で一瞬にして景色が変わってしまう。。。大切な人がいなくなってしまう。。。って凄く辛いことですね。
一日一日ほんとに、大事に生きなきゃならないですね。
命の大切さを教えてくれて、ありがとうございます。
Posted by komano at 2008年01月20日 23:29
とんとんさんへ。
コメント、ありがとうございます!!!!
ご兄弟が大阪におられたんですね!
電話も通じないし、当時は携帯もそこまで流通してなかったので、
連絡取れるまでは不安で仕方なかったんじゃないかと、思います。
命どぅ宝・・・
沖縄に修学旅行で行ったときに、ひめゆりの塔で語り部のおばぁちゃんが教えてくれました。
ものすごく強く、突き刺さるような感覚になったのを覚えています。
震災で命の重さを身を持って知っても、やっぱり、命というものを軽視して軽々しく何かを口走ってしまったりすることがあります。
沖縄でその言葉を聞いたとき、すごく自分自身を不覚に思いました。
私のほうこそ、思いだしさせて頂いて、ほんとによかったです^^
ありがとうございます。
コメント、ありがとうございます!!!!
ご兄弟が大阪におられたんですね!
電話も通じないし、当時は携帯もそこまで流通してなかったので、
連絡取れるまでは不安で仕方なかったんじゃないかと、思います。
命どぅ宝・・・
沖縄に修学旅行で行ったときに、ひめゆりの塔で語り部のおばぁちゃんが教えてくれました。
ものすごく強く、突き刺さるような感覚になったのを覚えています。
震災で命の重さを身を持って知っても、やっぱり、命というものを軽視して軽々しく何かを口走ってしまったりすることがあります。
沖縄でその言葉を聞いたとき、すごく自分自身を不覚に思いました。
私のほうこそ、思いだしさせて頂いて、ほんとによかったです^^
ありがとうございます。
Posted by りょーこ
at 2008年01月21日 10:43

おっき~さんへ。
コメントどうもありがとうございます。
おっき~さんは、そのとき甲子園でしたよね?
ほんとに、怖かったですね。
あの建て揺れと、家が燃える臭い・・・
尼崎の事故も、何故?
って思わずにはいられませんでした。
先日、脱線事故で命を取り留めた方のリハビリをお手伝いをさせて頂く機会があったのですが、
その方は、『なぜ私は2両目に乗ってしまったんやろう・・・』
って、嘆いてはりました。
でも、そのときにその方のお母さんが、
『2両目に乗ったからあんたは今生きてるんかもしれんで』
って。。。
もう、何も言えなかったです。。。
その方は今も、自分の足で歩くために一生懸命です。
私たちも、自分にできることを、できる範囲で、がんばっていきましょう^^
コメントどうもありがとうございます。
おっき~さんは、そのとき甲子園でしたよね?
ほんとに、怖かったですね。
あの建て揺れと、家が燃える臭い・・・
尼崎の事故も、何故?
って思わずにはいられませんでした。
先日、脱線事故で命を取り留めた方のリハビリをお手伝いをさせて頂く機会があったのですが、
その方は、『なぜ私は2両目に乗ってしまったんやろう・・・』
って、嘆いてはりました。
でも、そのときにその方のお母さんが、
『2両目に乗ったからあんたは今生きてるんかもしれんで』
って。。。
もう、何も言えなかったです。。。
その方は今も、自分の足で歩くために一生懸命です。
私たちも、自分にできることを、できる範囲で、がんばっていきましょう^^
Posted by りょーこ
at 2008年01月21日 10:48

komanoさんへ。
コメント、ありがとうございます。
そしていろいろと感じ取って頂いて、ほんとに嬉しく思います。
地震という不可抗力で、あれだけの人が亡くなるというのは、
今でもほんとに信じられません!
でも、それを経験したからこそ、
人間にできることもわかったと思います。
9歳のころの私は、
人間が好き放題するから、自然が怒ったんだ!
と思って、納得していました・・・
一日一日、大切に、生きて、いきましょう^^
コメント、ありがとうございます。
そしていろいろと感じ取って頂いて、ほんとに嬉しく思います。
地震という不可抗力で、あれだけの人が亡くなるというのは、
今でもほんとに信じられません!
でも、それを経験したからこそ、
人間にできることもわかったと思います。
9歳のころの私は、
人間が好き放題するから、自然が怒ったんだ!
と思って、納得していました・・・
一日一日、大切に、生きて、いきましょう^^
Posted by りょーこ
at 2008年01月21日 10:52

去年の記事にコメント
すみません。
タダリンさんからとんできました。
涙が・・・・
またあとからとんできます。
すみません。
タダリンさんからとんできました。
涙が・・・・
またあとからとんできます。
Posted by はっつー at 2009年01月17日 07:06