灯 1.17

2009年01月16日

昨年、
阪神大震災の体験談を日記に記しました。

http://ryokon.ti-da.net/e1929541.html


TADARINのおかげで、
たくさんの方々に、
私の体験したことを知ってもらえて、
共感してもらえて、
ほんとに嬉しくてたまらなかったんです。


だから、
また今年も、



下手な文章ではありますが、

何かを感じ取って頂けたら幸いです。















1995年、1月17日

当時私は小学校3年生でした。


私の通っていた小学校では

ターを含め、3人の生徒、1人の先生が地震で亡くなりました。



あの日、
地震の起こった当日は、
本当に長い長い一日だったのを、
今でも鮮明に覚えています。


朝方にターが死んで、
悲しみに暮れる暇もなく、
子供たちは、
小学校の体育館に避難するようにと。




仲の良かった友達と体育館で会ったとき、

『生きてる』

ということがこんなにも嬉しいことなんだと、

泪を流して抱き合いました。



でも、

生きている私たちのところへは、

驚くほどたくさんのご遺体が運ばれてくるんです。


体育館のステージが、

一時的な遺体安置所になっていたのです。


あのステージの上で歌ったり、

踊ったりしていたのに・・・



ものすごくショックでした。


遺体に目を向ける度に、

もしかしたらまだ生きてるんじゃない?

とか

急に動きだしたらどうしょう・・・

とか


そんなことを考えていたら、

怖くて怖くて、

遺体をなかなか見れませんでした。


そんな中、

知っている人がいないか確認してくださいと自衛隊の人に頼まれて、

恐る恐る一人ひとりを確認していきます。


何人目かで、ターをみつけました。

ターは、見知らぬおばぁちゃんの横で眠っていました。


運びだされたときよりも、

青白く、しんどそうな顔をしていました。



ターの隣の隣くらいに、

見覚えのある人をみつけました。


私の家の向いの一軒家に住んでた、おばちゃんでした。

よく、そのおばちゃんの家の壁にボールを当てて遊んでは

怒られていたので、

私たちはそのおばちゃんのことを

『くそばばぁ』

と呼んでいました。


あんなにも毎日怒鳴ってたおばちゃんが、




死んでいました。





いつになく穏やかな顔だったので、

見た瞬間はわかりませんでした。

でも、

いつもの紫の派手な服を着ていて、

やっぱりあの口うるさいおばちゃんだとわかりました。

あんなに怖いおばちゃんが、

こんな地震なんかで死ぬわけがない。

負けるはずがない。

そう思わずにはいられませんでした。



当時は、

いつも怒ってくるおばちゃんのことが大嫌いでした。

『くそばばぁ』と呼ぶくらいですから。


でも、

悪いことを悪いと怒ることができるおばちゃんの行動は、

ほんとに勇気がいることなんだと、

あとになって、

おばちゃんの偉大さ、優しさを知ることになりました。








身近な人が、

一瞬にして、

一日にして、

次々に死んでいく様を目の当たりにして、


生きてることの方が不思議に思えるような感覚に陥りました。







夜になって、

体育館に迎えにきてくれた父は、

凄く疲れた顔をしていました。

帰り道、

父は私の手をギュッと握り締めて、

外灯もつかない寒い夜の道を一緒に歩きました。

途中、

全壊したターの家の前で手を合わせて、

大泣きしながら二人で帰りました。















あの地震が

もし通勤時間に起こっていたら

被害はさらに甚大になっていたと言われています。

あの計り知れない大きな揺れでは

とっさに逃げることなんて絶対にできなかったんです。




だって、

あの強くて優しい勇敢なおばちゃんが死んだくらいですから。


凄く優しくて、背が高くて、格好良かったターが、
たかがテレビが頭に落ちてきただけで死んでしまったわけですから。




人間の無力さを思い知らされた自然の猛威でした。






皆さんは家具を固定されていますか?



万一の時にはどうするか家族と話していますか?





時間というものは

とても恐ろしいものです。



人の気持ちを、

簡単に風化させていってしまいます。



そして、

人間が、

恐ろしい自然の猛威を忘れかけたその頃、

自然は再び、

私たちに教えてくれるんだと思います。



絶対に忘れてはいいけないことを、

地震からたくさん学びました。






息をしている今、この瞬間に、

皆さんが伝えれらること、

伝えるべき人に伝えるべきこと、

絶対にあると思います。


『ありがとう』というシンプルな言葉を、

心の中で想うだけじゃなく、

声にして、

伝わるべき人の心に届けていけたらと・・・



震災から14年経った今、

私はそんな気持ちで2009年を生きています。



灯 1.17










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Posted by りょーこ at 23:22│Comments(11)雑記
◆ この記事へのコメント
りょーこ☆



生きててくれて




出逢ってくれて





ありがとう(T^T)





これからもよろしく!
Posted by にーさん。 at 2009年01月16日 23:31
今年は医療に携わる一人の人間としての記事になりましたね

すばらしい内容です

絶対忘れてはいけない
命の大切さ、重さ
伝わってきました
今のりょーこちゃんがあるのは
ターのお陰かもしれないね
Posted by TADARIN at 2009年01月17日 03:59
りょーこさん
おはようございます~
TADARINさんとこから飛んできました
昨年の記事を読ませていただきました
涙なしでは読めませんでした
私は遠く沖縄に居ますので、TVからながれる映像はまるで
映画を見ているような感じでした
りょーこさんは、まさに目の当たりに体験されたのですね~
震災でなくなられた6433人の方々のご冥福をお祈り致します
Posted by 新鮮野菜倉庫(ママピー)新鮮野菜倉庫(ママピー) at 2009年01月17日 10:32
りょーこさん
はじめまして。わたしもTADARINさんのとこから
飛んできました。
本当に涙がでてきました。
その場にいて、記憶が途切れるほど強烈な体験をされた・・
身近な人の死を幼い心で受け止め、今を生きていらっしゃるんですね。
りょーこさんのような体験者の言葉を聞くと、そこにいなくても
辛い気持ちになりますね。
本当にこの与えられている命を大切にし、わたしも
少しでも人の役にたてるようになりたいと思いました。
わかちあってくれてありがとうございます。
Posted by ウイングウイング at 2009年01月17日 16:06
にーさん。


私も、にーさんに出会えて、

神様に感謝しております^^

震災で死んでたら、

出会えてないわけですから^^


こちらこそ、

よろしくお願いします!!!!!!
Posted by りょーこ at 2009年01月18日 21:44
TADARIN


なんか、

ほんとにありがとうございます。

TADARINのおかげで、

たくさんの優しい気持ちに触れることができています。

幸せ者です。


ターのことがあったから、

今の仕事をしているのかどうかは、

私にはわかりません。

でも、
考え事をしてるとき


ターに見張られてると思うと、



ハっと原点に帰ります^^
Posted by りょーこ at 2009年01月18日 21:47
新鮮野菜倉庫(ママピー)さん


コメント、ありがとうございます!!!

沖縄でも、

台風が自然の猛威を振るうことが多くて、

目を瞑りたくなるようなニュースを聞くと、

悲しい気持ちになります。


命に優劣なんてないので、

やっぱり、

人が死ぬということは、

悲しいことです。

ママピーさんのような優しい気持ちを持った方に

この記事を読んでもらえて、

嬉しく思っています^^
Posted by りょーこ at 2009年01月18日 21:51
ウイングさん


コメント、ありがとうございます。

正直に言うと、

震災のときの記憶は断片的にしかないんです。

ある一部分の鮮明な記憶が何個も連なっているような感じです。

なので、

震災のときのことを考えと、

悲惨な映像だけがフラッシュバックするような感じで、

とても、しんどく、辛く、悲しくなるんです。

でも、

それを忘れたら、

終わりだと思っています。


ウイングさんにこの記事を読んでもらえて、

共感して頂いて、

とても嬉しいです!

私も、

もっともっと人に役に立てるようにがんばっていきたいです^^
Posted by りょーこ at 2009年01月18日 21:55
はじめまして〜
ジャッキーと申します。

TADARINさんの所からきました。

りょーこさんの記事を読んで、涙が止まりません。昨年の記事も読ませていただきました。

私は沖縄に住んでいて、前の会社の研修でこの日に大阪に行く予定でしたが、出来が悪くて2週間後にのびたので、すごく記憶に残っています。

この時は、ただ運がよかったみたいなしか思ってなかくて…

実際に体験された方々の恐怖や悲しみはわかりませんでした。

それから震災を体験された方々と知り合って…
でもあまり辛いことは言いたくないみたいで…



あなたの記憶を読んで、まだ涙が止まりません。



私達にできるのは、精一杯生きることですね。


つらくても、スマイル〜スマイルを合言葉にいきましょう〜☆
Posted by ジャッキー at 2009年01月19日 23:05
りょーこさん、こんばんは。
私もTADARINさんのところからやってきました(^^)
去年の記事も涙を流しながら読ませていただきましたけど、
今年の記事も、とても心に残るすばらしい記事です。

去年も書いたかもしれませんが、
思い出すだけでも辛いことを、思い出しながら文章を書いて
みんなに教えてくれて、本当にありがとうございます。
りょーこさん、書いててとても辛いでしょう?(T-T)
でもその痛みを抱えても書いてくれる言葉からは、
テレビや新聞からでは伝わらない、とても大事なメッセージが感じとれます。

怒ってくれた近所のおばちゃんのお話、涙を流しながら読みました。
ほんとに、こんな地震くらいで死んでほしくなかったよね。
もっと生きて、近所の子供たちに、目を配ってほしかったよね。
でも14年も経って、りょーこちゃんがここに書いてくれた
おばちゃんの真の優しさ。
天国でおばちゃんも、きっと喜んでくれていると私は思います。

今、生きている奇跡。
噛み締めながら、私も生きていかなければと思います。
もしもの時の備えも大事ですね。
それから、今日一日を精一杯、周りに感謝しながら過ごしていきたいです。
りょーこちゃんや、震災で傷ついた方々の心の痛みが
少しでも和らぎますように。これからたくさんの幸が訪れますように。
また亡くなった方のご冥福を、心からお祈りいたします。


りょーこちゃん、今年も震災のことを伝えてくれて本当にありがとう。
Posted by はるまま at 2009年01月20日 23:31
りょーこちゃん

コメントが遅くなりごめんなさい。
なんと書いていいか、考えてました。

震災は私も鮮明に覚えています。まさかあの高速道路が倒れてしまうなんて…。あの神戸の街をみる度に胸がつまります。
あの時、父はボランティア活動に西宮まで行っていました。でも私は何も出来なかった。それが今でも悔しくてたまりません。
私にも何か出来る事があったはずなのに。


ほんとに辛かった事ですがそれを乗り越え、りょーこちゃんは強い人なんだと思います。

今、生きていられることに感謝しないと、と私も思っています。


あの日のことを
記事にしてくれて私達に伝えてくれてありがとう。
Posted by Hanna at 2009年01月21日 08:52
 
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